七年語り – PHILOSOPHER’S STONE
08 岐路
いつになったら九と四分の三番線に煙突飛行粉用の暖炉を設置するのかと、不機嫌を隠さない父はそれでもマグルに模した服装がよく似合っていた。それもそのはずで、少し時代錯誤の感は否めないとはいえ、魔法族と言えどローブさえ脱いでしまえばマグルと大差ない服装をしている。トンガリ帽子を恒常的に身に着けているようなファッションセンスの持ち主は他として、今時の――ルシウスより少し上の世代から――の魔法族がマグルに扮するにはそう苦労しない。ローブを脱いで、口を噤んでいれば。
ローブを取り上げられたルシウスがこれほどまでに苛立っているのは、ウィーズリー氏が注意の手紙をよこしたことによるものが大きい。
それは先月のことだった。夏の濃い陰影が美しい時期、ルシウスはウィルトシャーの現領主であるシーモアの邸宅に“写したものを失神させる全身鏡”を贈りつけた。事の顛末は、わざわざ言うこともないだろう。ルシウスはウィーズリー氏の厄介になった。半年ぶりの取り調べ、そして数日ぶりのしらばくれ。私としたことが、うっかりしてしまったらしい。机の上で組んだ指を眺めながら、そう一言。ルシウスの帰宅時間はいつもとそう変わらなかった。その日の夕食の席、ルシウスは自分がどれだけ全身鏡のデザインに凝ったか熱弁を振るった。
ルシウスとウィーズリー氏の関係は丁度ダリルとドラコのそれに類似している。相手が正直でなかろうと、一度嘘をついていると感じれば、まず間違いなくその通りなのだ。ウィーズリー氏は絶対に“うっかり”なんかではないと――観光業に力を入れるシーモア家当主を疎んでいるルシウスが、彼に好意的な贈り物をする理由がないと主張した。しかし「顧客に呪いを送りつける恩知らずがどこにいる」とルシウスが言ってしまえば、誰もルシウスの“うっかり”を否定するに相応しい証拠を集められなかった。
サービス残業を繰り返して資料も集めた。ルシウスの愉快な裏金友達は、誰もウィーズリー氏から梟便を受け取ろうとしなかった。
両親の会話や屋敷僕妖精たちから聞いたことから事の全容を掴んだダリルは、大人って汚いと、ルシウスの娘にしては割かし純白と言って良い感想を抱いた。ウィーズリー氏へ幾ばくかの憐憫を覚えたりもした。どうせ罪が認められたって、書類送検されるだけなのだから。
ルシウスづてに話を聞くだけでも、ウィーズリー氏がなまなかなことでは相手の神経を逆なでしようとはしない、穏やかなひとだと知れる。そんなウィーズリー氏がわざわざ皮肉の手紙を送るほどには苛立ったのだろう。でなければ、「私は一日には抜けられない会議があるからね、君がマグルに変なものを与えたり、色んな大騒ぎを起こしてもすぐに駆けつけるというわけにはいかない。子供の前で馬鹿な真似をしないよう――精々、ちゃんとマグルに溶け込む努力をするんだな」なんてあからさまな挑発を、私的に送ったりはするまい。
ウィーズリー氏からの手紙はルシウスに「ローブと杖を貸せ! 何がマグルに溶け込めだ――あの、薄汚いマグル被れめ!!」と騒がせる効力を持っていた。散々騒いだ結果として姿現しで九と四分の三番線に行くこととなったが、そこでまたナルシッサが「ルシウス、私が姿現しを苦手としているの知っているでしょう」と言いだし、予定はどんどん遅れていく。ドラコとダリルは両親の討論の終わりを待つにも飽きて、どちらともなく話すようになった。ダリルはルシウスの駄々に、少しだけ感謝した。
久しぶりに話したドラコは今までのことがないように、それとも馬鹿げたことで話し合う両親に呆れすぎているからか「どっちが折れるか賭けないか」と切り出した。ダリルは父親が折れるのにガリオン金貨を一枚賭け、ドラコは母親が折れるのに二枚賭けた。ナルシッサは、子供が賭け事をするのを見逃すような母親ではない。説教の矛先が二人に向いたため賭けはおじゃんになったが、これは幸いであった。結局ルシウスは強情を通し、折れたのはナルシッサだった。ダリルは一ガリオン得したことになる。
「よく覚えておきなさい、バカな男に惚れたらダメよ。バカでもなんでも惚れたらそこで負けなのですからね」
ドラコとルシウスが一足先に姿現しで邸を去ると、ダリルの腕を握るナルシッサは悔しそうに、唇を噛みながらそう呟いた。ルシウスが馬鹿な男だとは思えないが、少なくともウィーズリー氏に纏わることに関しては、母の意見のほうが正しい。
ブツブツと呪文を確かめる母親に、ばらけてしまったら如何しようとダリルは心底不安になった。しかしダリルは無事――指一本欠けることなく九と四分の三番線に着いた。胸元のリボンがどこかへ消えてしまったのには、ナルシッサと共に知らないふりを決めた。自分の鼻がどこかへ置き去りになっては困ると思ったのか、ナルシッサが構内に着いて早々したことは、夫のローブを奪い去ることであった。
きっと眉を吊り上げた妻が「帰りは普通にかえりますからね」と宣言する声音は、まあ実際隣で聞いていたダリルも怖いと思った。ルシウスは不満気ではあったものの、ウィーズリー氏に対する意地は一応張ったと思ったのか、妻が怖かったのか、話題は冒頭に戻る。
少々フォーマルすぎる嫌いはあったが、マグルの中に溶け込んで違和感ない服装で政府の手抜かりだ何だと言い募る父に付き合っている暇はない。ドラコは両親に見切りをつけたのか手短に別れの挨拶を済ますとダリルを置いて逃げた。現実問題もう発車時刻まで十分もない。「コンパートメントを探さなくちゃ」とドラコが駆けていったのは何の落ち度もないだろう。兄の抜け駆けに気づいたのは、ダリルが「そもそもにして、魔法使い専用の駅を作るべきではないか? 如何思う」とルシウスに話を振られた瞬間である。
「ホグズミートに別邸を買おうと言ったら、あそこの奴らは低俗だなんだと言ったのはどなたかしら」
ドラコに優しく別れのキスを落とした唇が夫をなじる冷たい台詞を吐いた。ルシウスが妻の言葉に詰まった。
「私も、そろそろ行かないと乗り遅れてしまうわね!」
ダリルはルシウスが我に返るより早く母親の頬に別れのキスをして、人ごみの中へ身を隠してしまった。ルシウスに捕まればホグワーツ特急に乗り遅れるに違いなかった。トランクを盾がわりに人垣をかき分け、ダリルはドラコを探した。見当たらない。
「ドラコったら、自分が外灯にでもなった気でいるのかしら」
ブツブツと呟くと、レディがそれに従うようにしゅるると舌をひらめかせた。
腕にしっかと巻き付く感触は未だ気持ち悪いとはいえ、今朝にドラコから「お前が気にしすぎなんだ――ほら、言い含めればちゃんと腕に巻きついたまま大人しくしているだろう」と言われた通り、レディはもうダリルの肌の上を這いずりまわったりはしなかった。
昨夜、自分の勝手な思い込みからドラコに迷惑をかけてしまったことも関係して、レディを冷たくあしらうのは気が咎めた。
ドラコに会った直後からの記憶がすっぽりと抜けているのに、朝起きてベッドにいたということは彼が如何にかして運んでくれたからなのだろう。レディの居ない眠りは快適で、悪夢はダリルを訪れたりしなかった。まだクマはうっすら残っているが、久方ぶりにスッキリした気持ちだった。きっと、色々考え過ぎたせいで、変に依怙地になってしまっていたのに違いない。
これからはレディと何とか打ち解けていけるよう頑張ろう。改めて接してみるとレディは大人しく、ドラコの言うとおり自分が何もかもを気にしすぎて子供の癇癪を起しているだけだったのだと恥ずかしくなる。
「レディ、腕時計が見えないわ」
ダリルの台詞を受けて、レディは身をよじって盤の上から退いた。
そりゃ猫は可愛らしいけど――蛇だってそう捨てたものではないわ。「いい子ね」ダリルはにっこり微笑んだ。
時刻はもう十一時八分前。急がないといけないわねと、ダリルは一人ごちた。
ホグワーツ特急の横を歩きながら窓のなかをひとつひとつ確認してみるが、ドラコの姿はどこにも見つからない。
二十八個目の窓から誰か探しているのかと話しかけられたが、ダリルは返事を返せず、首を振るだけで去ってしまった。まるきり知らない人となると、何を話せばいいものか分からなかったのだ。それに相手がマルフォイ家を嫌っているかも、スリザリンを嫌っているかもと思うと、下手に仲良くなって後で揉める羽目になるのは嫌だった。それでも、あんまりに嫌な態度だったかもしれない。
後悔しながら、人探しをしているのだと気づかれないように窓を確認しながら歩いているうち、最後尾の車両近くに来てしまった。ドラコはどこにいるのだろうか。時刻はもう十一時四分前。兎に角列車に乗り込まないと、キングズ・クロスに置いてかれてしまう。
ダリルは手近な列車の戸口に近づいた。そしてトランクを、トランクを持ち上げようとするのだが、持ち上がらない。それもそのはずで、予定では父親かドラコに手伝うはずだったのに、そのどちらもいない。滑車着きのトランクだから平地の移動には困らなかったが、汽車へ積み込むには誰かに持ってもらうか、もしくはホームと汽車の段差に板を渡すかしなければならない。
発車まであと三分。板も、男手もない。
「大丈夫?」
焦るダリルに、戸惑いがちの響きが落ちる。びっくりして顔をあげると、列車の戸口にくしゃくしゃの髪をした男の子が立っていた。恐らくプラットホームに何かやり残したことがあったのだろう。「ごめんなさい――邪魔だったわね」そう呟くとダリルは身を引いた。男の子はすとんと片足だけ下ろすと、手すりを握っていないほうの手で戸口につけられた階段の端に寄せられたトランクの取っ手を掴んだ。
「手伝うよ、僕もさっき他人に手伝って貰ってやっとこトランクを積み込めたんだ」
かっと頬が熱くなる。まただ、とダリルは思った。マーカス・フリントに助け起こしてもらった時と同じ、何もできない女の子だと決めつけられている。何も出来ない、役立たずのスクイブ。全世界の人々にそう馬鹿にされているようだった。
「運べるわ」
ダリルは頑なな声音で返した。男の子はそんなダリルをきょとんとした顔で見ている。
「何か壊れ物でも入ってるの?」
ダリルの拒絶めいた言葉の意味が理解しがたいらしく、彼は困ったように問うた。
何でそんなことを聞かれるのだろうとダリルが困惑していると、男の子ははにかむように苦笑する。
「僕も自分で運べるだなんて楽観視してる内に二回も足に落とした――見てよ、僕の足二倍の大きさに腫れ上がってる」
不意をつかれて、ダリルは噴出した。男の子の足はダリルより少し大きいぐらいで、彼にとってはジンジン痛むのかもしれないがダリルの目にはトランクによって負わされただろう被害が見当たらない。ダリルの頬が緩んだのを見て、男の子はにやりと笑う。その笑みは、おっかなびっくりという調子で話しかけてきたのに、こんな自信満々の笑みを浮かべるなんてとダリルを驚かせた。男の子はさっさとダリルのトランクを積み込んでしまっていたが、それに対しては何の表情も浮かべなかった。
「持ち上げれて良かったよ」
「あの、ごめんなさい」ありがとうと言うつもりだったのに、ダリルは先と違う理由で頬を赤くした。
ドラコの言うとおりだわ。私の気にしすぎで、こんな優しい男の子にまで冷たい態度を取ってしまった。
せめてありがとうとにっこり笑おう。そう決めたのに、「あっそこらへんで梟フーズみなかった?」という言葉を言うや否や、男の子は汽車から降り去ってしまった。もうすぐ発車時刻なのにと男の子を追いかけようか悩んだが、自分の後ろにいる人が邪魔臭そうな顔をしていたので、ダリルは慌てて列車に乗り込んだ。トランクを引きずりながら、再びドラコを探して歩くことにした。
新入生みたいだったし、あの男の子とはきっとまた会えるわ。後ろ髪を引かれて、ダリルは入口のほうを振り向いた。人が多くて、彼が見つからない。きっとホグワーツには、このプラットフォームからはみ出すぐらい多くの人が暮らしているだろう。
見知らぬ人ばかりの景色から顔を背けて、片割れの姿を思い浮かべる。それでも、あの緑の、美しい瞳が忘れられなかった。
同じ寮に組み分けられたら、彼ともう一度会えるのに。
七年語り – PHILOSOPHER’S STONE