ウィーズリー家に二番目の女の子が生まれた。そのお姫様の名前を、ジネブラ・モリー・ウィーズリーと言う。

 母親の名前をミドルネームとして与えられたことからも、彼女がどれだけ可愛がられたか分かるというものだ。ジネブラ――ジニーはお伽噺のお姫様みたいに可愛くて、彼女の両親はこの娘を茨の塔に閉じ込めちゃいたいとか言っている。
 上に六人いる兄達も皆その子に夢中で、たった一人、姉だけはご機嫌じゃない。そんなシンデレラの義理の姉みたいに意地悪な女の子の名前はナマエ・ルクレツィア・ウィーズリー。ナマエが「ルクレツィアって誰?」と母親に問うたら、母親はにっこり「叔母の名前よ! 変身術がとっても得意な人だった……!」と遠い目をした。ナマエだって、モリーというミドルネームが欲しかった。
 ジニージニーとでれでれな両親を見て、ナマエは自分は拾われっこなのかもしれないと思った。
 ナマエの髪の毛は赤というよりは茶の色をしていたし、目の色だってブルーだ。とび色ではない。今までは自分が女の子だから兄弟たちと違う髪色をしていると思っていたが、ジニーは燃えるような赤毛にとび色の瞳を持って産まれてきた。

 ナマエは屋根裏に続く階段に腰掛けて、くすんくすん泣いていた。背後の扉からはグールお化けのうめき声が聞こえてくる。ナマエが「ひょっとすると私はグールお化けの子供なのかもしれない」と考えだした時、階下に赤いものが見えた。
「ナマエ、ご飯だよ」
 ビルが口に手を当てて、階上にいるナマエに呼び掛けていた。ナマエは動かない。「ナマエの好きな、ライスプディングがあるよ」ぴくっとナマエが身動ぎした。それを見てビルがにやっと笑う。しかし結局ナマエは降りてこなかった。
「……ママがいないから行かない」ナマエはそっぽを向いた。
 モリーは赤ちゃんの世話にてんてこまいだ。兄弟たちも皆食事を取るよりちいちゃな妹のほうを見たがって、最近は誰もテーブルでご飯を食べないし、両親も特別にそれを許している。だから皆、ベビーベッドの周りで、ジニーを見ながらのんびり食事をやっつける。
 ジニーを見たくないナマエは当然一人で食事を取ることになる。ナマエは膨れた。「ライスプディングなんか要らない」
 ビルはすぐ下の妹が年がいもなく妬いているのににやにや笑った。もう九歳にもなるのに、ナマエはモリーにべったりなのだ。モリーもジニーが産まれるまでは、ナマエを「我が家のお姫様」と呼んで、飛び切り甘やかしていた。尤もそのおかげで生来の我儘さに拍車をかけて飛び切り傲慢になった姉の事を、弟たちの大多数は煙たがっている。
「赤ちゃんみたいに拗ねてるんだから、ママがジニーと間違えておしめを取り変えてくれるかもしれないぞ」ビルはクスクス笑いながら、赤ちゃんの泣き真似をしてみせた。ナマエの顔が真っ赤になる。
「ビルなんて大っ嫌い!!」そう言って、ママ! と続けて叫ぼうとした口がしゅんと閉じた。ぽろぽろと泣きだす。「ママ……」両手で顔を覆ってシクシク泣き始めた妹に、ビルはちょっとからかいすぎたかなと自省した。
 ビルは階段を一段上って、ナマエに近づく。腕をぐっと突き出して、ナマエに手を差し出した。
「ほら、おいで」
 ナマエは茶色の髪をぶんぶん振る。「やだ。ビル、いっつも私の事からかうもの。ジニーを見に行けばいいじゃない」ナマエが唇を噛んだ。涙を堪えて、ちょっとでも嫌味っぽい声を作ろうとする。「ちっちゃくて可愛いジニー。私はちいちゃくないし、可愛くもないもの」最後のほうは、結局涙声になってしまった。ひっく、ひっく。小さな肩が震えて、いつも生意気ばかり言う口から嗚咽が漏れる。
 ビルはもう一段、二段、三段、四段上がって、無理やりナマエの手首を掴んだ。
「兄の言う事をきちんときけよ。ほら、こっちおいで」ふるふると頭を振る。「グールお化けに頭からバリバリ食べられちゃうぞ!」ビルがそう言った瞬間、グールお化けがダン! と扉を叩いた。ナマエがぎょっとした顔をして、ちょっとずつ段を降りる。

 十段しかない階段をたっぷり五分かけて降り、二人で手を繋いで廊下を歩きだした。ビルはナマエの顔を覗き込みながら歩いていたので、フレッドとジョージの部屋の前にあるバケツに足を突っ込んでしまった。バケツのなかにはおたまじゃくしが一杯に入っていた。ビルが「うえー」と顔を顰めると、やっとナマエがちょっと笑ってくれた。それで、二人でフレッドとジョージに何をされたかポツリポツリ話すようになる。とはいえナマエが弟達に悪戯を受けるというのは滅多にない。ナマエの得意は暴力なのだ。
 ナマエに投げられただとか、蹴られただとかで、日に五回は弟達に泣きつかれるものの、それでもビルにとっては妹だ。
 フレッドが拾われっことからかうから、頬をピシャっと(ビルの記憶によるとビッターン! という破裂音だった)叩いてやったという話をナマエがして、ビルがうんうんと頷く。言われた時のことを思い出したのか、ナマエがまた涙ぐんだ。
 ビルは繋いでいないほうの手でナマエの茶色の頭を撫でてやる。ナマエは知らないが、アーサーの母親、二人の父方の祖母が茶色の髪にブルーの瞳を持っていた。早くに亡くなってしまったし、ビルも会ったのは一度きりだが、優しい人で大好きだった。
「僕はナマエの兄さんだからね。いくつになってもナマエはちいちゃな妹だよ」
「ジニーのほうがちっちゃいわ」ナマエがしょんぼりと口にした。
「でも、ナマエのほうがずっと長い事僕の妹でいるじゃないか」にっこり笑うと、ナマエが顔を上げる。首を傾げた。
「いくつになっても、ちっちゃくて可愛い?」
 廊下を渡りきって、階段を下る。
「うん。いくつになってもちっちゃくて可愛いよ」ギイギイ軋む段を飛び越して、ビルが頷いた。
「おっきくなって、小さくなくなって、可愛くなくなっても、お姫様みたいに大事にしてくれる?」ギイっと大きな音を出して、段が傾いだ。
「うん」
 先に階段から降りたビルはナマエが降りてくるのを待って、隣に降り立った瞬間にぎゅっと抱きしめた。

「ナマエは僕のお姫様だよ」

 ナマエは涙ぐんだ。いつも自分の事をからかうし、蹴ろうとすれば避けるし、かかと落としを決めてやろうとすれば受け止められてしまうし、大嫌いだとずっと思っていたのに――だけどナマエの不安を慰めてくれたのはビルだった。
 ナマエはビルの体に抱きついて、自分がこの優しい兄の妹である幸福を実感したのである。

 そこまでなら、それは麗しい兄妹愛のお話だったし、実際ビルは“そこ”で話を終わらせたい願望と常に戦っている。しかし現実は無慈悲だ。お伽噺は存在しないし、ハッピーエンドと綴る権利も我々ヒトには与えられていない。その権利を持つのは死神だけだ。
 “麗しい兄妹愛”がガラガラと音を立てて崩れて行くのは、今現在目の前でビイビイ泣く妹が纏っているのが下着だけだからである。

 あられもない格好をした妹がビルにしがみ付いて、喚く。「僕のお姫様だよって! そう言ったのに!!!」豊かな茶の髪を振り乱した。顔にバチバチと当たる。痛い。ビルは額を押さえた。この際ナマエが胸を自分の腕に押しつけているのも、彼女がブラジャーとパンツしか身に纏っていないのも問題ではない。とりあえず、妹の誤解というか、思い込みを解かねばならない。毎朝繰り返し出される結論は今朝もねん出された。妹の胸の感触に我を失っているわけではない。暑いのだ。いや体がじゃない。夏だからだ。
「言った。だけど君は今いくつだ」ビルがむっつりと、不愉快そうな声音を絞り出す。
「んーと」一方のナマエは暑さなど微塵も感じさせない軽やかな響きで悩んでいた。「十九になったわ」うふふと笑う。この笑みに騙されてはいけないと、ビルは痛いほど理解している。五年前に初めて出来た恋人との仲を引き裂いたのも、この笑みだった。
「僕は二十一歳になった。だから、もう、一緒のベッドでは寝ない」
 今、二人は同じベッドにいる。何も最初から一緒のベッドで寝ていたわけではない。ビルが眠ったのを確認するやご機嫌のナマエがベッドに入ってくるのである。これは十年前、ジニーが生まれて以来の習慣ではあったが、成人した兄妹が二人一緒に寝るというのも変な話だと――いや十四・五頃から女性的になった妹とは一緒に眠れないと、ビルはかなり前から同衾を拒否してきた。
 ビルの拒否を受けたナマエはビルに睡眠薬を盛って、ベッドに潜り込むという知恵を付けた。彼女の得意は魔法薬学だった。恐らく昨日も盛られたに違いない。何に薬が入っていたか考えながら、ビルはベッドを降りる。ナマエも付いてきた。ビルがパジャマを脱いで、服に着替える背後で喚き続ける。せめて寝る時にネグリジェぐらい着てくれと、ビルは暗澹たる気持ちになった。
「お風呂は? 着替えは?」シャツのボタンを留めるビルの首に後ろから腕を回し、背中に胸を押しつける。
「自分ひとりでしろっ、この、馬鹿っ!」
 ビルは無理に妹を剥がすと、チャーリーのベッドに突き飛ばした。これが弟達だったら窓から突き落としているところだ。尤も弟達には押しつけられる胸がない。幸運だ。しかしフレッドなんかは胸にパンを詰め込んでナマエの真似をすることがある。不運だ。
 ナマエがわあっとチャーリーの枕に顔を埋めようとして、不意に立ち上がり、とことことビルのベッドまで移動する。そして、チャーリーのベッドに突き飛ばされた時と同じポーズを取った。今度こそ、わあっとビルの枕に顔を埋める。

「酷い! 痛い……!」
「わざわざ移動出来るぐらいなら、全然痛くないだろう」しくしく泣く妹にビルは顔を顰めた。昔は素直だった妹は嘘泣きというスキルを会得している。それに騙されて、何度ダブルデートの相手に駆り出されただろう。何が悲しくて妹の友達とその彼氏がイチャついてるのを見ながら、兄妹でウインドーショッピングや喫茶店に行かなければならないのだ。昔は可愛かった茶の髪とブルーの瞳も、今となっては疎ましい。髪色が違うせいで、何も知らない他人からすると二人は兄妹に見えなかった。二人で出掛けると、いつもカップル扱いされる。
 勿論一番の問題はナマエがそれを全て理解した上でビルを引きずりまわしていることなのだけれど。

 ビルがわあわあと泣き喚くナマエを叱りつけていると、入口からジニーが顔を覗かせる。
「ビル!」ビルは口いっぱいにフロバーワームを詰め込まれたような顔をした。「煩いじゃないの」ぷりぷりと怒る末の妹は、騒音を撒き散らしているナマエ本人ではなく、その管理者であるビルに苦情を告げる。「泣いてるのは、ナマエだ」
「泣かせたのはビルでしょ」ジニーは何気ない風に返した。ナマエが枕から顔をあげて、枕を片手に持ったままジニーに近づく。
「ああ、ジニー……!」自分に手を伸ばす姉を見て、ジニーが嫌そうな顔をした。「ジニー!!」それでもナマエはたじろがない。ジニーをぎゅっと抱きしめた。ビルの枕を顔に押し当てられ、バンバンとナマエの背を叩く。「かれいしゅうがする!」ビルは傷ついた。
 このままでは妹が窒息してしまうと思ったのか、ナマエは枕を傍らの床の上に下ろした。
「ジニー、ビルが苛めるのよ」うるうるとブルーの瞳を揺らがせて、ジニーを見つめる。「私のこと、馬鹿って言ったわ!!」
「ビル、ナマエと一緒に寝るぐらい良いじゃない」どこが良いんだとビルは思ったが、家族は口を揃えてナマエの味方をする。ジニーも同様だった。しくしくと泣き真似をする姉をよしよしと撫でて、批判めいた視線でビルを射抜く。「ナマエ、ビルがいないんですっかりしょげちゃったのよ。エジプトになんて行くからいけないんだわ。それまではきちんと二人別々のベッドで寝てたじゃないの」
「同じ部屋のね!」薬を盛るのに失敗した日等は、目が覚めるとナマエのベッドが自分のベッドの横にくっ付けられていた。
「部屋数を考えてごらんなさい」ジニーはぴしゃりと言い捨てた。
 忌々しいと思わなかったわけではないが、小さな妹相手に本気になるのは大人げない。ビルは再びナマエに話しかけた。
「大体ナマエ、お前には双子の弟がきちんといるだろう。そっちにひっ付いたら如何だ」あんまりに性格も似てないし、髪の色も目の色も違うので忘れがちだが、ナマエはチャーリーの双子の姉だった。
「私にルーマニアくんだりまで行けって言うの? それに嫌よあんなドラゴン馬鹿。こないだ小さいドラゴンの模型買ったって喜んでたから、踏みつぶしてやったわ」その時のことを思い出したのか、ナマエは異国の地にいる片割れをふんと笑った。
「ジニー、これを引き取ってくれ」ビルが頭を抱え込んだ。エジプトに帰りたい。無暗に戻ってくるのではなかった。
「嫌よ。それに二人きりになると人の胸のサイズとか測りはじめて鬱陶しいんだもの」末妹の返事は非常に冷淡なものだ。
「ナマエ、お前、妹にまでセクハラしてるのか」
 呆れた声と共に視線を向けると、丁度ナマエはジニーの腰のくびれへ手をやっていた。ジニーはウンザリしている。「私が十歳の時はもう少しくびれがあったわ!」キラキラした瞳で、ナマエが断言する。
 ジニーとビルが互いに声も無く考え込んでいると、同じ顔の弟達が部屋を覗きこんだ。
「ビル! ナマエを部屋から出さないでくれ!」
「ピーチクパーチク僕達の邪魔するんで、五月蠅くってたまんないや」
 そう言って、二人はおたまじゃくしだらけのバケツに足を突っ込んだ時のような顔をする。ジニーのウエストを測っていたナマエがギロリと二人を睨んだ。途端にぴゅっと廊下に顔を引っ込め、二人はドタドタと廊下を逃げて行く。
「貴方達に彼女が出来るよう教授してるだけでしょう!」
 ナマエは“貴方達”が逃げたのに気付いていない。にっこりと自信に満ちた笑みで、指をくるくる回す。実際自分に自信を持っているだけあって美人だったし、スタイルも抜群だ。妹が魅力的すぎるからこそビルは困っている。
「私みたいに綺麗で優しくて成績優秀眉目秀麗スポーツ万能ナイスバディな女の子を落とすテクニックをね! ロン、何を笑ってるの」騒ぎを聞きつけたロンが扉から顔を覗かせて、クスクス笑っていた。しかし先週ナマエに付けられた背中の痣がうずくのか、ナマエに話を振られるなり「ジニー、僕らテーブル整えにいく当番だぞ」と神妙な顔をして、妹を助け出しつつ逃げてしまった。
 部屋に二人取り残される。

 ああいうのを麗しい兄妹愛って言うんだよなあとビルは思った。丁度ジニーが産まれた頃、ナマエとビルもあんな感じだった。あんな――ビルの布団にもぐりこみ、シャワーを浴びているところへ乱入したり、ボタンが留められないのと着替えを手伝わせられたりした思い出が走馬灯よりも素早くビルの脳裏を過ぎっていった。いや、あんな風ではなかった。
 パーシーに助けを求めようかと思ったが、あの生真面目な弟は破天荒な姉を嫌っている。長兄としては弟を可愛そうな目に合わせるのも忍びない。ナマエはビルの腕にしがみ付き、相変わらず下着姿だし、胸を腕に押しつけている。
「帰ってくるんじゃなかった……」ビルは遥かなる砂原に思いを馳せ、遠い目をした。
「パパが駄目って言わなきゃ、私だってエジプトに行けたのにね」ナマエもグリンゴッツ魔法銀行に勤めており、ビルと同じく呪い破りを職としているが、流石にビルを追ってエジプトにまで行くことは出来なかった。否行くことは出来たのだが、アーサーが反対したのだ。長女をエジプトくんだりにやることは出来ないと、頑として反対されてしまえばイギリスに留まるしか出来なかった。
「こんなにパパが偉大に思えた時はないよ」
 ナマエはその時のことを思い出しているのか膨れていたが、ビルはとびきりの頬笑みを口元に湛えていた。

 階下から二人を朝食に呼ぶモリーの声が聞こえる。「そろそろ服を着ようかしら」と、ビルを引きずりながら、ナマエは何の躊躇いもなくビルのシャツを羽織る。まんま「彼氏の家に泊まりに来たけど替えの服がないの」状態であるが、もうビルには妹を説教する元気がない。ついさっき起きたばかりで、何故こんなに疲労するのだろうと、ビルはエジプトが恋しくなった。

「ね、ビル」
 ビルのシャツを着終えたナマエが、ビルににっこり笑いかける。
「ビルのお嫁さんは私よりも素敵な人でなきゃ許さないからね」
「……お前は僕を男やもめにしたいのか」
 散々叱りつけまくってはいるものの、ビルだってナマエが魅力的な女性であるのは分かっている。豊かに艶を放つ茶色の髪に、澄んだブルーの瞳。少し幼い容貌と、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるメリハリのある体。ビルに対してはこんなんだし、弟・妹達の前では女王様だが、仕事中は知的にキビキビと働くことも知っている。それに他人のことは蹴ったりしない。妹でさえなければ結婚したって良いぐらいだし、実際ビルの友人連中なんかは「俺もあんな妹が欲しい」と言いだす始末だ。
 その妹よりも素敵、というとどんな女性なのか全く思いつかない。そう考えてしまう自分も少なからずシスコンなのだろうなあとビルは悲しくなった。ビルの思考を見とおしてか――否確実に見とおして、ナマエがにっこり笑う。

「そしたら、“いつまでも兄妹二人で幸せに暮らしましたとさ……おしまい”ってこと!」
 

happily ever after!